路地裏の小さな料理屋の記念祝賀パーティなのだから、さぞこじんまりしたものだろうとタカをくくっていた筆者は、会場に行ってみておどろいた。幹事の人たちの手伝いでもしようかと早めに会場入りしたのだが、まずなんといっても幹事そのものが多い。受付担当の女性だけでもいったい何人いるのだろう。ちょこちょことお手伝いをしながら開場を迎えると、なんとまぁ来場者の多いこと。300人超と読んだが、大げさではないと思う。
店では割烹着姿の可愛いおばちゃんだったが、この日はよそ行きの洋装だった。開演前だが、すでに泣いている。幹事の人やゆかりの人との会話のたびに手をとりあって泣いている。パシリを志願した筆者におばちゃんからのお褒めの言葉があり、握ってくれた手はやわらかく暖かく優しかった。
いろんな人が挨拶をした。縮んだ海馬のせいで具体的に列記できないが、映画監督とか、有名な人が沢山いたと思う。沖縄というキーワードで結束したパーティだから歌や踊りも沢山あった。
何回かの踊りの場面で、沖縄民謡じゃない、ゴーゴーのようなダンスミュージック(例えが古すぎて宇根先生くらいしかわからないかもしれない)が流れたとき、非常に唐突な感じで千石先生が踊りの輪の中心に走り出た。トトトトトっと走り出る雰囲気は、砂漠に棲息するある種のトカゲの動きに似ている。しかも無表情で。
全身黒ずくめのファッションに、腰まであるポニーテール。そして、突然激しく踊りだす千石先生の姿に筆者はすこし引いた。千石先生のダンスは、星飛馬のゴーゴーダンスを彷彿とさせるものだったが、自信に満ちて一点の曇りもない堂々としたものだった。千石先生のパフォーマーとしての意外な一面に固唾を呑む筆者に、幹事のMⅠ号氏が、『むかし、天井桟敷にいたこともあるんだよ』と教えてくれた。天井桟敷とは、いわずと知れた寺山修司氏の劇団である。寺山修司氏のもとに、書を捨てずにジャングルに行く千石先生が身を寄せていたとは洒落が利いている。劇団といっても天井桟敷はアングラなのだから、目の前に展開されている千石先生のダンスがアングラテイストなのも納得がいった。スマホの時代ではなかったのが残念だ。動画として残しておいたらスカパラのホームページにアップできたのに。
そんな千石先生に祝賀スピーチの順番がまわってきた。不敵なテレ笑いをうかべながら、並み居る著名人を睥睨しつつ、先生は語り始めた。
縮んだ海馬の都合で原文のままというわけには行かず、故人には誠に申し訳ないが要約する。
ヒキガエルは、生まれた池にもどって産卵する。たとえ遠くの森に放しても、繁殖期になると、必死にもとの池にもどろうとして、途中で車に轢かれてしまうこともある。都内のとある池が埋め立てられて駐車場になってしまったことがあるが、それから数年間、この駐車場には春になるとどこからともなくヒキガエルたちが集まってきて、乾いたアスファルトの上で悲しく包接をくりかえして卵を地面に撒き散らしていた。やがてその駐車場にやってくるカエルの姿は絶えたが、ぼくらの「カエル場所」である壷屋は、永遠に今のままでいて欲しい。おばちゃんにはずっと元気でいてほしい。ぼくらが路上でのたうつことがないように・・・・。といった内容だった。ちょっと泣けた。おばちゃんは大泣きしていたけど。
あれからずいぶん長い時間がすぎた。おばちゃんは亡くなり、成子天神下飲食街は取り壊されてビルや空き地となっている。ちょっとまえに、野生動物関連の用事で都庁に寄った帰り、壷屋の跡地に寄ってみた。先輩ガエルたちもこうやってときどき虚しい寄り道をしているのかな?と思ったらちょっと泣けた。千石先生だけ、一足はやくおばちゃんの料理を独占しているに違いない。上手いこと言ってまたおばちゃんを泣かしているのだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
筆者注:筆者は、壷屋以来、行きつけの飲み屋というものがありません。あえて作ろうとも思いませんが、もしもジェラルドダレルやヘリオット先生が飲みに来るアイリッシュパブがあったらぜひ行きたいと思います。そこに増井光子先生や千石先生がいたら最高です。文字通り天国の店。はやく行ってみたい・・けど、まだ早い。スカパラのホームページに、ハペトロジストが集まるおすすめの飲み屋なんてコンテンツがあったら面白いかもしれませんね。
千石先生の駄洒落を久しく聞いてないのが寂しいです。駄洒落に駄洒落を返すという真剣勝負のような会話が楽しかったです。私は2回までは返すことができましたが、先生には3回目を返されて、返せずにいると、4回目を畳み込まれて終了でした。あの頭の回転の速さ。先生は、笑点の大喜利に出演してもイケてたんじゃないかと思います。桂三枝師匠(2022年現在、6代目桂文枝師匠)からいただいた、柱山椒魚(はしらさんしょううお)という高座名もお持ちでしたし。
ただし、壷屋のパーティ会場で、『カエル場所』の駄洒落に気づいた人はほとんどいなかったので、千石先生のわかりづらい(高等な)笑いは万民向けではないのかもしれません。