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千石先生の思い出

石橋徹先生によるメモリアル
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2023/04/01

連載13  スカパラと千石先生

| by 管理者

 壺屋のおばちゃんのパーティで激しく踊る千石先生を見て驚いた(ちょっと引いた)筆者であるが、さらに爬虫両生類情報交換会で、感極まって涙する千石先生を見た。

 

いつだって流暢な先生が、言葉につまって感涙に咽ぶ姿など想像しえなかったので激しく踊る姿以上に驚いた。これまたスマホがない頃だったので、動画がないのが悔やまれる。

 

 事の始まりはスカパラの発足である。

 

岐阜大の柳井先生との共同企画で、爬虫類の臨床と病理を研究する会を立ち上げるから、手伝って。と宇根先生に言われたのは、まだ肌寒い時期だったように記憶している。その頃には、宇根先生のところに様々な検体を納品してきたこともあって、海馬が縮むほどの緊張はなかったが、「それなりにやっかいな案件だな」と感じたことを覚えている。

 筆者の役目は、一部の変な獣医以外、ほぼ爬虫類バージンな日本の獣医業界と、互いに罵り合う狂暴なアライグマの群れを橋渡しすることだった。宇根先生にお伝えしたのは、「あくまでも、獣医サイドが爬虫類サイドの皆さんから爬虫類という生き物とはなんぞやということについて、教えを乞うというスタンスで始めてください」ということだったと記憶している。

 まずはゴリス先生と千石先生にお伺いをたて、こんなことを始めますのでよろしくご指導お願いしますと根回しをし、それから両先生を直接宇根先生にご紹介した。

 その後、筆者は大塚公園に宇根先生をお連れして、情報交換会にも顔を出していただいた。

 「爬虫類の人たち」の雰囲気を宇根先生に理解していただくには、百聞は一見に如かずで、あそこに来ていただくのが一番よいと思ったからだ。

 トラとライオンの放飼場のしきりを開くがごとき、内心ドキドキな私の心配をよそに、思ったより何事もなく、平和裏にビッグ・キャッツの対面は完了した。向学心や探求心という崇高な共通言語があれば、どんなに鋭く強大な爪牙を持っていたとしても、人類は皆兄弟となりうるようだ。

 1992年のあの日、アルジェリアトカゲの写真は持って帰れなかったが、数年後に、千石先生とゴリス先生と・・沢山の爬虫類の専門家にお集まりいただき、宇根先生のもとに戻ってきたのだから、首尾は上々。私の任務はこれにて完了である。

 

 こうして、沢山の強い味方を得てスカパラは無事発足した。

 

その後、第一回スカパラワークショップを経て、情報交換会の大会に宇根先生ご夫妻が参加されるに至ったのだが、ここで、話が冒頭の千石先生の涙のエピソードにもどる。

 

情報交換会大会のあとに開かれた懇親会が大いに盛り上がる中、千石先生はひときわ上機嫌だった。先生はスカパラに大きな可能性を見出しておられたようである。

 

 ゴリス先生から、情報交換会会長の任を引き継いでいた千石先生のスピーチとなった。

 

 爬虫類学者と獣医が手をとりあって爬虫類の世界を盛り上げていきましょう!というお話のあと、こんなふうにして爬虫類という生き物への理解が深まっていくことが嬉しいとニコニコ顔で語る千石先生。ここで一転。おそらく千石先生は、爬虫類への無理解に対し、子供のころからずっと孤独に闘ってきた記憶がフラッシュバックされたのだと思う。

 「人々の無知によって、爬虫類が誤解され、理解されないなんて、俺はいたたまれない・・・」とおっしゃったところで末尾の言葉が嗚咽にかすみ、ぐうに握った手の甲で目を覆われた。小学生が泣きじゃくるときのような典型的なポーズ。先生はもはや、感涙を隠す気すらなかったらしい。

 星飛馬のゴーゴーダンスのときにはちょっと引いたが、このときはとても感動的だった。

 

つづく

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筆者注:あの日 宇根先生に「行って来い」と言われて、私は千石先生をはじめとする爬虫類界の著名人とお知り合いになることができました。さらに、その千石先生に行って来いと言われて、環境省のヒアリングに出向くことになりました。

私はそこで、飼育動物における外来種問題についてプレゼンをしました。当時おとなの事情で咎め無しになりつつあったブラックバス問題を嫌味タラタラ牽制しつつ、オビトカゲモドキの話をしたのですが、その話にとても共感してくださったのが国立環境研究所の五箇先生でした。昆虫の世界にもどっぷり浸かっていた私は、以前から五箇先生のことは本の中で存じ上げていたのですが、この日はじめてご本人にお会いすることができました。

「今の話。新鮮で面白かったから今後連絡とりあいましょうよ」と声をかけてくださった五箇先生は、セミロングのオールバックに、ミラータイプのスポーツサングラス。服は全身黒ずくめというスタイル。名刺は先生の手によるスズメバチのイラスト入りでした。

ポニーテールに台湾電子台のカメラマンベストに松葉杖にビン底眼鏡に汚れた指サックというスタイルとは対極ではありましたが、この場に私を派遣した御大と何か同じ匂いがする五箇先生でありました。

名刺をいただいたその足で五箇先生を宇根先生・千石先生ラインにご紹介させていただいたのですが、それがその後のツボカビワークにつながっていくとは思いませんでした。

人の縁というのは、面白いなぁと思います。本稿でお話するのは2度目ですが、スカパラのワークショップの懇親会では、濃い目の出会いが会員の皆さんを待っています。ぜひとも足をお運びいただけたら幸いです。

 

ちなみに。千石先生の感涙スピーチのエピソードを宇根先生が覚えていらっしゃらなかったという事実が、さっき(201812月)判明し、筆者はものすごく驚きました。宇根先生のお茶目な一面が伺えるエピソードといえますが、それはまた別に機会に。


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