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千石先生の思い出


2023/03/01

連載12 千石飯とカフェ・センセン

| by 管理者

ピクという女性がいる。外国人ではない。通称ピク。ピクルスのピクだ。本名を声に出して読むと『酢漬け胡瓜』と聞こえるので、酢漬けのキュウリだからピクルス。出会ったその日に千石先生がつけたニックネームだそうだ。彼女は、サンゴの研究をしたくて琉球大学に入り、卒業後そのまま沖縄に居ついてハブ博物公園にいる。現地では、おきなワールドの浅田真央。またの名をハブ・ラブガールズのリンリンという。ハブラブガールズというのは、ハブ博物公園のAKB48のような存在で、歌と踊りの代わりに大蛇を担いでステージに現れる美女たちだ。リンリンはきっと本名の一文字からもってきたのだろう。ピクルスのほうがひねりが効いていて良いと思うのだが、女の子に酢漬け胡瓜は気の毒だろうと上司が配慮したのかもしれない。

東京都民だったピクが沖縄で活躍しているのは、千石先生との出会いによる。千石先生の『学問とはなんぞや』『夢を追うとはなんぞや』というお話は、就学期の青少年の心にストレートに響くらしく、先生の助言をきっかけに人生が大きく変わった子は沢山いる。彼女も先生に出会って、一念発起して大学に進学し、本気で生物学に向き合う人生を選択したのだ。

晩年の千石先生を語る上で、東京環境工科専門学校は外せない。

『本当に地球環境を守りたいと思ったら、政治家になるのがよかったな。ただ、俺には政治家は向かんねん。政治家じゃないとすると、あとは教育だな。教え子の中から学者だけでなく政治家が出るかもわからんし。もう一仕事、何かできるんだったら、学校をつくりたかったな・・・』癌になる前の元気なころ、先生はそんなことをおっしゃっていた。

千石先生が学校をつくったら、それは素晴らしい環境教育の学校になったに違いない。もしもそういう学校ができるなら、自分も手伝いたいと、筆者は思っていた。

先生独自の学校はついに実現しなかったが、カリキュラムの作成に相当な意見をされたであろう東京環境工科専門学校は、先生にとって大切な教育の場だったに違いない。

なにしろ生徒をよく可愛がっておられた。

先生は渋谷で講義を終えてから、新宿界隈で生徒たちと毎週食事をしていた。名目は、『授業のあと、うちの動物たちの餌を買いに爬虫類ショップに行くが、ついてくるか?』ということだったが、実態はエスニック料理の宴である。幸いその曜日は筆者の仕事の休みと重なっていたので、毎回誘っていただいており、生徒さんたちのお邪魔にならない程度に幾度か参加することができた。筆者はこの会を千石飯と呼んで、楽しみにしていた。

会場は、千石先生が選りすぐった新宿池袋界隈のヴェトナム料理屋 タイ料理屋 インド料理屋 マレーシア料理屋 中近東料理屋のどこかであった。普段、どんだけ外食してるんだろうと心配になるくらいに、先生の脳みそは食べログ状態だった。筆者はこの中で、百人町屋台村と日暮里のザクロが好きだった。屋台村はもう閉店してしまったが、フロアのまわりをぐるりと小店舗が囲み、インド・中国・メキシコ・ヴェトナム・タイ・マレーシアといった料理が一度に注文できるしくみの楽しい店だった。料理の一品一品に、先生の解説がつく。出来のよしあしの評論はもとより、レシピから歴史的背景や宗教的背景まで深く広い。ヴェトナムコーヒーを片手にコンデンスミルクの誕生秘話が語られるかと思えば、シンハービールを一口飲んだらシンバ・シンハー・シズ・シシと羅列して、話題は言語学におよぶ。手もとにある料理や飲み物から果てしなく余談が広がっていくのが楽しかった。

そして、本題の生徒達。

動物や自然環境が大好きな子たちである。屋台村までついてくる子は当然のことながら千石先生のファンであり、動物奇想天外世代である。そりゃ楽しいだろう、嬉しいだろう。

生徒達は嬉々として自分の夢や現状の興味対象について先生に熱く語る。先週どこどこにフィールド実習にいってきました!○○を見ました!いま○○を飼ってます!競争のように発言する生徒達。なんて楽しそうな学校なんだろう。情報交換会のディープな文化人たちのやりとりとは違い、まぁ子供相手の会話ではあるが、千石先生は、生徒の発言のひとつひとつに丁寧なアドバイスを返していく。頭ごなしではないものの、軽いジャブ程度の説教もちりばめられている。彼らが高校生のころ、進路指導の先生が『失敗した』仕事をいま千石先生が代わりにやっていると言ってもいいだろう。

専門分野を目指す子供には、ホンモノのオトナが手加減なしにホンモノの背中をみせてやることが、大切だと思う。

千石飯に来ていた子たちの中で、千石先生の薫陶を受けて、環境省に入省した子もいれば、ピクのように琉球大学で学士をとった子もいる。何を間違ったのか先生に恋愛の話しを振っていた子もいたが、成就したのかどうかはわからない。あきらかに相談相手が違うだろう。千石飯に来ていなかったけれども、下宿に転がり込んだ先生と雑魚寝をしながら人生相談に乗ってもらい、職人気質のコーヒー屋になった子もいるらしい。なぜ千石先生に背中を押されてコーヒー屋なのかよくわからないが、先生はいろんな人の背中をいろんな方向に押してたんだなぁと感心する。

千石飯(せんごくめし)についてさらに思い出を語りたい。

千石飯の発展型に、カフェ・センセンというのがある。本当はローマ字でくねくねとオシャレな文字で書かれているのだが、表現できないのでカタカナで失礼する。ご存知の方も多いと思うが、千石先生は、自らエスニック料理を調理するのがお好きだった。レシピ本も沢山買って研究されていたし、なにより世界中を旅する中で、ホンモノの味を自らの舌で体験されてきた(先生の遺稿となった、いのちはみんなつながっている という本にも『食』に関する先生の並々ならぬ想いが語られているので一読をお勧めする)

そんな千石先生が、東京環境工科専門学校の生徒を招いて、手料理をふるまうというのがカフェセンセンという食事会である。

なんだったかの時に、千石先生と隣り合わせで電車のつり革にもたれていたときの事。先生は、なにやらレシピの記された手書きのメモを捕り出して、いかにも聞いて欲しそうな感じで、う~ん。と唸りはじめた。子供か!

スルーは気の毒なので、『なんスかそれ?』と聞いたら、

『○○をつくるのにまだ●●が手にはいらんねん。まえはアメ横の▲▲においてあったのに・・。知ってるか?●●。 漢方薬では××っていうねん。』・・・と来た。

『漢方薬の××っすか? 知りませんね。先生 どこか体調でも悪いんですか?』

『ばかやろ。これをつかった料理を生徒に食わすねん。お品書きだって書いてあるもんね。みろ!カフェセンセンっていうねん。安全な食材を使って、体にいいレシピで生徒に食育すんねん。』

ウキウキを隠し切れずに、ついに先生はお品書きまで引っ張り出して筆者にみせる。これが本当に千石先生の文字かと疑いたくなるくらい、よそ行きで、ちゃんと読める文字だ!なんかデザインされたかわいい感じだし。ご存知の方は痛いほどおわかりのように、千石先生の直筆は読み辛い。というかほとんど読めない。先生の直筆の文章を読むには①専門用語ならびに文章全体のテーマに対する基礎知識があること②千石先生の考えそうなことが、ある程度わかること③解読した文章を、これでいいんですよね?と即座に先生に見せて確認を取ることができるくらい適度に親しい関係であること。以上の3条件が具備されていなければならない。こういった事が原因で、先生が晩年に書かれた原稿で迷宮いりしたものも少なからず存在するらしい。余談がつづくが、筆者は先生にワープロを憶えてもらおうと画策したことがあった。先生にノートパソコンをお渡しして、知人の女性に先生のオフィスまで出向いてもらってワープロを教える、という企画だったが、先生のオフィスの整理のタイミングが重なった上に、先生の具合が一気に悪くなってしまい企画が中断してしまった。あの試みが成功していれば、すくなくとも世界の料理本の一冊くらいは残ったかもしれない。残念だ。

話しはもどる。お品書きだ。先生のウキウキ指数を如実にあらわす可愛い文字が躍っている。喜びをこんなに無邪気に表現する人って(この歳で・・・)、いるだろうか。

後で聞いたら、あのとき先生は、「私も行きたいです!」と筆者に言わせたかったらしく、「しょうがねぇなぁ 御馳走してやるか」というコントをしたかったらしいのだが、何事につけても育ちの良さが邪魔をする筆者は、先生と水入らずの学生さんのパーティに乱入しようとは思わなかった。しかし、つまらん遠慮などするものではない。とうとう筆者はカフェセンセンにお邪魔する機会を逸したまま先生とお別れするハメになった。無念である。

さて。話しが前後するが、千石飯(せんごくめし)に、獣医大の学生を大挙して連れて行ったことがある。東京都の野生動物救護の仕事をしている筆者と野生動物医学会の学生部会との縁は、別にドラマチックでもなんでもないので詳細は省くが、とにかく野生動物が大好きで、将来は野生動物の仕事に就きたいです!なんて臆面もなく目をキラキラさせている、お花畑のバクみたいな連中を千石飯につれていった。やはり動物奇想天外世代の子も多く、大層もりあがっていた。それからしばらくして、千石先生から電話がきた。このときは既に先生の声は力なくかすれていて、思い出すと涙が出るが、話はこうだ。『おまえ・・このまえ獣医大生つれてきたやろ?俺・・専門学校生にはいっぱい教育したけど、できれば獣医大生にもいろいろ伝えたいねん。お前が選んだ学生を4人、俺のところに食事をしにくるように段取ってくれ。俺が食事をつくるから。ただ、もう体力がないけん、4人しかムリだ。だからお前が4人選んでくれ。それから・・お誘いしたのに当日ドタキャンなんてこともあるけん、あらかじめ御了承いただきたい。明日しんじゃうかもしれないんで。あと、あなたにはついぞ手料理をご馳走してあげられなかったけど、今回は遠慮してくれ。あなたとは今までいっぱいお話ししてきたから。あなたには、次の機会をつくるからね。』

かしこまりました・・・しか言えなかった。それ以上なんか言うと泣きそうだったから。職場で診療時間中だったし。

筆者は速攻で日大の学生と連絡をとり、精鋭4人で最後のカフェセンセンに出かけてもらった。一人は今、対馬の野生動物保護センターにいて、もう一人は来年卒業したらボルネオに赴きゾウの研究をするらしい。先生から何を伝えられたのか。彼らの心には何が残ったか。くわしくは彼らに聞かなかったが、彼らからはとても心のこもった御礼のメールがとどいた。

食べたかったな・・カフェセンセン。               つづく。

 

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筆者注: カフェセンセン最後のお客様となった日大生ですが・・・農工大生からも日獣大生からも何で誘ってくれなかったんだとブーイングがきそうなので言い訳をしておきますが・・。ずっと千石先生のファンだったという、爬虫類好きのエレファント田窪くんを中心に考えていたので、そういう人脈となりました。ごめんなさい。4人に絞るのはそれはそれで心苦しい作業でありました。

千石先生は専門学校生に沢山のニックネームをつけたようですが、昔の情報交換会ではニックネームではなく学名をつけることが常だったそうです。元情報交換会会員でスカパラにも来てくれているけんちゃんは、Satiusu Okamotoiとう学名を千石先生からもらっていました。「幸が薄い」という意味からくる学名ですが、サチウスじゃあまりに気の毒だろうということで、先生が途中で  Mizubebiosにかえてくれました。けんちゃんが好きなミズヘビを意味します。なんで「ミズヘ」でなく「ミズべ」なのかというと、けんちゃんが水生生物全般がすきなので、水辺と水蛇をかけたのだそうで・・。

けんちゃんのミズヘビはスカパラとも少なからず因縁があり、彼のミズヘビの皮膚病を麻布の病理で見ていただいたことがあります。その時、『いろんなものがごっちゃに見えるからどれが原因の病原体なんだかわかりにくいんだけど、なんか不思議なツボ状の構造物が見えるのよ・・』と宇根先生が仰っており、その後、おそらく宇根先生は、水棲の病原体と壺状の構造物をキーワードに論文を探されたのだと思います。そして、それがその後のツボカビ・ワークの遠因となった可能性がある と私は読んでいます。

けんちゃんのミズヘビの皮膚病に関しては、のちに、F10という消毒薬の薬浴で予防と治療が可能だということが判明しました。

せっかくの発見でしたが、時すでに遅く、「ミズヘビの飼育はやめました。色彩変異の入手に沢山のお金を使うのをやめて、車の改造にまわすことにします。車は死なないですから・・・」と寂しい撤退宣言してけんちゃんは去っていきました。幸薄い後ろ姿に筆者は無念の合掌をしました。

なお、私の学名はPseudokitsch exoticaといいます。意味はあえて伏せておきますので、会話のきっかけにでもつかってください。
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