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千石先生の思い出


2022/05/01

連載その2 運命のリクエスト

| by 管理者

 宇根先生の御前に出頭するにあたり、緊張のあまり体のいろんなところが縮んだ私であるが、縮んだ組織の中には海馬も含まれていたようで、あのとき宇根先生とどんな会話をしたのか記憶が定かではない。鮮明に覚えているのは、巨大なポリバケツ(蓋をまわすとロックされる丸くてでかい、江戸時代の棺桶みたいな水色のアレ)の底に綺麗にトグロをまいたヨレヨレのアミメニシキヘビの姿だ。寒い季節だったと思うが、黒々と退色し、脱皮不全のカサカサが痛々しい個体だった。たしか宇根先生は、爬虫類のことはさっぱりわからないので、当座のあいだの保管方法について知りたい・・とおっしゃったと思う。さらに言うならそのときの宇根先生は笑顔だったうえに、ご苦労様的なねぎらいの御言葉も頂戴し、とてもうれしかったのを覚えている。その後のやりとりも、海馬が縮んでいたせいで記憶が定かではないが、たしか『健康な爬虫類の写真が欲しい・・とくに今このへんに転がってる種類の写真が欲しいの・・・』というリクエストをいただいたように思う。私は背筋を伸ばし、45度の角度でお辞儀をして『うけたまわりました。行って参ります!』と回れ右をした・・・・と思う。

 当時はまだ爬虫類を売っている店は限られており、かろうじて所沢のミカミの存在を知る程度だった私は、写真まで撮らせてくれる親しいショップの心当たりがなかった。

爬虫類が好きといっても、図鑑を熟読しながら子供時代を過ごしました程度の知識であり、飼育といっても身の回りの普通種や南西諸島の生き物を現地採集して細々とキープする程度の趣味であった。外国産の爬虫類を大金はたいて購入し、自宅でこっそり飼育する事が、『身を持ち崩すほど好きだ!』という残念な若者たちの存在など露とも知らなかった時分である。知らなければ知らないでもよい世界だった気もするが、この日を境に私は『あっち側の世界』を覗くことになる。1992年のことである。

                                  (つづく)

 

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筆者脚注 *爬虫類オタクに対する差別的記述がみられ、2022年現在の社会においては不適切な表現であるとの批判を受ける可能性がありますが、作品のオリジナル性を尊重するためにそのまま掲載しております。

その昔、爬虫類オタクに市民権はありませんでした。映画『大怪獣ガメラ(1965年公開)』にも、カメ好きな少年(かなりの馬鹿)の将来を危ぶむ父親と姉の姿が描かれています。少年のカメ好きを『奇行』とみなし、担任の先生ぐるみで異端者のレッテルを貼りつけている様子を見ると、『カメ好きでさえこの扱いであるならば、ヘビが好きですだなんて口が裂けても言えない時代だったのだろうな・・・』と思います。昔の社会の、爬虫類に対する社会の無理解がよくわかる描写です。

 

ちなみに、ガメラにおいては、この少年が基本的にバカだったから周囲の大人たちの偏見が加速した可能性は否めません。もしも、この少年が神童と呼ばれるほどの秀才だったならば、話は違っていたと思います。

道端でアオダイショウを斬殺するオッサンに闘いを挑み、のちに日本社会の爬虫類に対する偏見や無理解を大きく改善することに成功した千石少年や、さらにその何十年も前に、アメリカ社会の爬虫類に対する無理解に憤りを感じ、スーパーマンに変身して世界中の爬虫類を救いたいと願ったゴリス少年のように、神童レベルの少年がガメラの主人公だったとしたら、もう少し、ストーリーに幅や深味が出たろうにと残念に思います。

なにしろこの大怪獣ガメラというグレートな映画については、いろいろと突っ込みどころが満載であり、本稿の参考資料としてDVDを購入してしまった『痛い』出費を回収するために、いずれあらためて書かせていただきたいと思います。


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