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千石先生の思い出


2022/09/01

連載その6 インドカレーとナガレタゴガエル

| by 管理者

 爬虫両生類情報交換会(以下、情報交換会と略)について、入会当初の印象を一言で言うと、アメイジング! いや、あのときは咄嗟に言葉が出てこなかったから、絶句といったほうが良いかもしれない。

そこは異能の人々の集まりであった。情報記憶容量がケタ違いな人々が、口角泡を飛ばしながら、和気藹々と(?)熱く語り合っている。話題はメインの爬虫両棲類にとどまらず、人種差別から猟奇殺人までと幅広い。本稿では書くのをはばかる全編ピー音でかき消されるであろう内容のほかに、目立ったのが身内の悪口。絶えず誰かと誰かが抗争している様子であった。さらには怪獣や懐かしのアニメや印刷のフォントに至るまで、ほぼ脈絡無く、広く深く、ノンストップであり、そして何より皆、楽しそうであった。

月並みではあるが、人の脳をコンピューターに例えると、彼ら異能の人たちは、ハードディスクの容量が異常に大きい人たちといえよう。CPUの演算速度も相当に速いに違いない。本当なら天下を取るような人たちばかりなのだと思うが、OSが極めて特殊で、社会との互換性を嫌うプログラムが施されているようだ。バッテリーの持ちが悪い人も多そうだ。途中でウイルスに感染してシャットダウンしていく人もいた。そんな彼らを筆者は素直に尊敬し、格好いいと思った。どんどん耳に入ってくる珍しい話題や新しい知識が心地よかった。

異能の人々の中には、社会の窓口 あるいは 調整係 として機能する数名の『社会人』が存在していた。銀行マンだったり、学校の先生だったり、出版社の社員だったり。極めて紳士的で社交的で真っ当な勤め人である彼らによって、どうにかこの会は運営されているらしかった。

そして、この会の会長が、ペットショップ・ラブバードのエピソードのところでちょっとだけご紹介させていただいた、スカパラ顧問ゴリス・リチャード先生であることを知った。例えて言うならば、ゴリス先生が不動の文鎮となって、パンドラの箱の蓋を押さえているという感じだろうか・・・。

とかく身内でゴタゴタと争いの耐えない情報交換会のようであったが、誰からも共通に尊敬されて愛されているゴリス先生が束ねつつ『オトナな社会人チーム』が運営することによって、年末には和気藹々と大会を迎えることができているようだった。このような状態を指して、『ゴリス先生の目の青いうちは大丈夫だ』という言葉もある。ハープタイルブリーダーズマッケット(HBM)代表の小林さんから教えていただいた言葉なのだが、あとからジワっとくる名言だと思う。

情報交換会は、フィールド観察会も行っており、ある日、筆者はナガレタゴガエルの観察会に参加させてもらった。場所は丹沢である。ゴリス先生も千石先生もいらっしゃり、幹事は肉食爬虫類研究所所長Dr.トミーこと富田京一氏と、伝説の爬虫類オタクMⅡ号氏という、今思えばぜいたくなメンツの観察会であった。

幹事があらかじめ下調べをしておいたピンポイントの沢すじに、ルックスも様々な、いい年をした男たちがドヤドヤと入っていく。ゴリス先生を除けば、過去に女子にモテたことがないであろうと断言できる雰囲気満載のメンツである。みんなカエルをもとめて、前のめりに沢に手をつっこんで落ち葉をさぐる。アライグマの群れのようだ。知らない人が通りかかったらギョっとする光景だったと思う。山菜採りの季節じゃなくてよかったと思う。

ときおり、カエルを探す手と手が触れたりなんかして互いを見つめ合って頬を赤くそめながら、男たちは沢の中を移動していく。

 

あとで幹事が責任を厳しく問われていたが、まったくカエルがみつからない。

 

ナガレタゴガエルの皮膚がヒダヒダになった独特の繁殖形態が観察できたのは、彼らが下見をした時点がピークであり、この日は完全にシーズンオフだったようだ。

それでも男達の執念はすごかった。口々に幹事をののしりながら黙々と川底を両手で探っていく狂暴なアライグマたち。実に荒々しい光景である。

結局、ヒダヒダのナガレタゴガエルはみつからなかったが、ヒダヒダがおさまりかけた個体が1匹だけ観察できた。まだ会員諸兄の人間関係がよくわからない新参者の筆者は、『なにもそこまで責めなくても・・・』と思ったが、皆、口々に幹事を罵倒しながら山を降りた。幹事への罵倒の中でも、いちばん激しく、しかもポイントをついた攻撃をしていたのが千石先生だったように思う。

最初はこの状況にどぎまぎしていた筆者だったが、激しく罵倒する言葉の内容の割には皆、楽しそうであり、罵倒される側もなんだか嬉しそうだ。どうやらこの人たちは、会話のキャッチボールならぬ会話のドッジボールを楽しみながら互いの友情を確認しているらしい。たまに会話のデッドボールが発生して会を去っていく人がいたのはご愛敬である。

解散となる相模大野の駅で、インド料理屋に入った。幹事の二人が行きつけの店だという。筆者にとって、はじめてのインド料理専門店だったが、情報交換会の人々はエスニック系のグルメに詳しい人たちが多いらしく、罵り合うアライグマたちはインド料理評論家に変身した。おもしろすぎる。中でもいちばん気を吐いていたのが千石先生で、インド料理の特殊な調理器具が自宅にあるとか、必要なスパイスは全部買い揃えてあるとか、その熱く語る様はインド料理への深い愛情を感じさせるものだった。以来、筆者もインド料理に目覚め、吉祥寺の某インド料理店のオーナーの離婚話に巻き込まれるほどのインド料理通となるのであった。

                                   つづく

 

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筆者注:昨今、爬虫類を趣味とする人々の中に、うら若き女性の姿が普通にみられるようになりましたが、丹沢で、荒ぶるアライグマ達がナガレタゴガエルを追い詰めていたときには、女子と呼べるメンツは皆無でした。麻布大学でもその昔は女子学生そのものの数が少なかったそうです。かつて、動物好きの子だったら誰もが心おどらせた『トラの子のお母さん』の著者である増井光子先生も、男子しかいない麻布大学にあって、規律の厳しいことで有名な馬術部で紅一点活躍されていたそうです。ワラで束ねた長い髪の毛によって、かろうじて後ろから識別できた紅一点・・・。いまのキャンパスの華やかさからは想像できませんね。

カエルが見たい!ただそれだけ。下心や一点の曇りもない参加動機によってこれだけ熱い男達のサークル活動が維持できていたという純粋さは素晴らしいと思います。現在では、爬虫両棲類の観察会に女子大生が沢山来るなんてことも稀ではありませんが、当時の情報交換会ではそんなことを期待すべくもなく、木によりて魚をなんとやらの世界でした。本当に純粋で硬派だったと思います。

ちなみにナガレタゴガエルとは1978年に東京の奥多摩で発見され、1990年に新種記載された渓流性のカエルです。こんなに目立つ生き物が東京に棲んでいたのに、なぜ今まで発見されなかったのだろうというオドロキも去ることながら、このカエルのもっとも驚くべき点は、そのヒダヒダっぷりにあります。繁殖期である2-4月になると、川にもどってきた親ガエル達はいきなり皮膚がヒダヒダになります。イタリアングレーハウンドがある朝チャイニーズシャーペイになっていたらびっくりですが、そんな感じの大変身です。この特殊な性質がなければこのカエルはまだしばらく新種として発見されて無かったんじゃないかと思います。ヤマキマダラヒカゲとサトキマダラヒカゲのような出来事は、実はもっともっと沢山足元に転がっているのかもしれません。

ナガレタゴガエルの変身の理由は、よくわかっていないそうで、仮説として、皮膚呼吸のための表面積を確保するため。などといわれていますが、似たような産卵習性をもつ他種のカエルに同じ変化が見られないことへの説明がつきません。ヒダヒダの皮膚は繁殖期がおわるとさっさともとにもどってしまい、なんの変哲もないタゴガエルにもどります。あの素晴らしいヒダヒダが見たかった観察会参加者が、寒さと腰痛と引き換えに、ただのタゴガエルを1匹だけ見たという結果は、下見をした幹事がフクロにされて余りある出来事だったかもしれません。あのヒダヒダを組織切片にして観察したらどうなってるのか・・飽血マダニの皮膚のようにしっかりと成長した結果なのか、単なる水腫様変性なのか・・ヒダヒダの皮膚はツボカビにとっては寄生面積が増えてラッキーなのか水っぽくておいしくないのか・・興味はつきません。


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